第3のドシエ · デンマーク外交書簡
コペンハーゲン、1675年:デンマーク中立の値段
1675年の春、デンマークは二つの言葉で語っていた。ハーグでは使節が同盟国にスウェーデンとの開戦を約束し、パリでは同じ暗号公文の控え帳が、ルイ14世を相手に中立の代価を交渉していた。リクスアルキーヴ(デンマーク国立公文書館)で見つかった鍵で暗号部分を読むと、この二重外交が週ごとに内側から見えてくる。
「陛下がフランスの望むことをするために口実を探す必要はないでしょう。同盟国のふるまいそのものが、十分にもっともらしい口実を与えてくれるはずです。」
コペンハーゲンからパリのマイヤークローネへ、1675年4月13日(暗号部分、現代語による要約)。
1675年の冬:スウェーデン軍、ブランデンブルクへ
1672年以来、ルイ14世はオランダ、スペイン、皇帝と戦っていた。1674年12月末、フランスの同盟国スウェーデンは大選帝侯を同盟から引き離すため、ブランデンブルクに軍を入れた。スウェーデンの隣国で競争相手でもあるクリスチャン5世のデンマークは、両陣営から誘いを受ける。同盟国はスウェーデン攻撃を求め、フランスは静観を望んだ。当時デンマークの政策を動かしていたのは、大法官ペーダー・シューマッハ、グリッフェンフェルト伯である。
外交を担うドイツ官房は、毎週の公文を書記コンラート・ビーアマンの控え帳に写し、機密部分は暗号のまま残した。ハーグ駐在の使節ユスト・ヘーグと、ルイ14世のもとに派遣されたヘニング・マイヤークローネの二人は、同じ鍵を使っていた。
ハーグ:スウェーデンとの戦争
ヘーグ宛ての公文は同盟国の言葉で書かれている。1675年2月13日、コペンハーゲンは、スウェーデンが目的もなくこれほどの兵を集めるはずはなく、バルト海の沿岸と交易を支配する最大の障害であるオランダを弱めようとしているのだと論じ、イングランドが助けられないうちに「海と陸から」攻撃するしかないと述べる。ところが同じ手紙は、スウェーデン大使がデンマークの閣僚の何人かに「好意的な心」を見いだしていることも認めている。
パリ:中立の値段
マイヤークローネ宛ての公文は、別の交渉を伝える。グリッフェンフェルトがコペンハーゲンでフランス大使テルロンと交渉し、パリでは外務卿ポンポンヌに伝えられた。金額は暗号部分にしか現れない。
- 4月13日:テルロンは、ルイ14世が申し出を減らし、60万エキュを3年ではなく2年で支払うと告げる。グリッフェンフェルトは、フランスに従えばデンマークは同盟国の補助金を失うので、パリはそれを埋め合わせ、講和後も支払うべきだと答える。
- 5月22日:年20万エキュを3年では足りない。デンマークは参戦前のスウェーデンより不利に扱われるべきではない。
- 6月1日:テルロンは新たな訓令により、年30万エキュを3年間と申し出る。
- 6月11日:正式な条約までのあいだ、デンマーク王とルイ14世の「暫定約定」を記した文書がテルロンに渡される。
ルイ14世を喜ばせるための結婚
6月5日、コペンハーゲンはマイヤークローネに、スウェーデン王カール11世がクリスチャン5世の妹ウルリカ・エレオノーラとの結婚を申し込み、これを受け入れると伝える。この同意は、縁組を望んでいたルイ14世への友好のしるしとしてパリで示すよう指示された。6月8日の手紙はさらに踏み込む。ハーグでデンマーク使節が同盟国と結んだ合意は、王の「意図に反し、命令にさえ反して」結ばれたものだという。コペンハーゲンは、スウェーデンとの縁組によって同盟国が補助金を止め、同盟を離れる「正当な理由」が得られることを期待していた。
この手紙からわかること
グリッフェンフェルトとフランスの交渉は、主にフランス側の史料によって歴史家に知られている。これらの公文は、自国の外交官に宛てて日々書かれたデンマーク側の記録である。わかるのは次の三点だ。
- 暗号で記された補助金の駆け引き。2年で60万エキュから、3年間で年30万エキュまで。失われる同盟国の補助金の補償も求めている。
- 1675年6月11日、デンマーク使節がすでにハーグで約束していたにもかかわらず、フランスに書面の約定が渡されたこと。
- スウェーデンとの縁組が、ルイ14世を喜ばせ、同盟国との決裂を招くための手段と考えられていたこと。
その後の出来事はこの計算を覆した。1675年6月28日、スウェーデン軍はフェールベリンで大選帝侯に敗れる。7月、クリスチャン5世はホルシュタイン=ゴットルプ公に主権とスウェーデンとの同盟を放棄させた。6月21日の手紙が唯一の引き金になりうると名指ししていた事態である。9月、デンマークはスウェーデンに宣戦し、スコーネ戦争が始まった。グリッフェンフェルトは1676年3月に逮捕され、死刑を宣告されたのち減刑されて終身投獄となる。ウルリカ・エレオノーラとカール11世の結婚は、講和後の1680年まで実現しなかった。
暗号
フランス式のノメンクレーターである。各文字に二つの記号と1〜24の数一つ、計三つの同音字があり、音節は312(「ba」)から692まで子音順に並ぶ。人名と国名には符号がある(111 ポンポンヌ、112 テルロン、212 フランス、216 スウェーデン)。鍵には表題がなく、官房の「Chiffer」冊にある一枚を公文と照合して特定した。2月から6月までの26通は全文を読めており、暗号群の97.6〜100%が読める。全文の翻字は手紙ごとに「史料」ページにある。
不確かな点
- これは控え帳の写しで、実際に送られた原本ではない。とくに写字生が複数の文字に使う記号「9」には写し誤りの可能性が残る。
- 未解決の符号がいくつか残る(各項目に明記)。ここで引いた金額には関わらない。
- フランス側の文書館にあるテルロンの公文とはまだ照合していない。現代語の要約は私たちによる。
出典
Rigsarkivet(コペンハーゲン), Tyske Kancelli, Udenrigske Afdeling, « Conrad Biermanns kopibog over udgående skrivelser til danske ministre i udlandet », 1675. Arkivalieronline ↗
Rigsarkivet, Tyske Kancelli, « Chiffer » 1670–1709, 画像55. Arkivalieronline ↗
Daniel Bourdeau, 解読未了暗号の目録(cyphersolver), 第465番 « Conrad Biermann’s copybook »。
「史料」ページのヘーグ宛て・マイヤークローネ宛ての項目(各箇所、方法、クレジット)。