解読・1916年6月
辰密:電報4通とその鍵
1916年6月に黄興と張孝準が東京から送った暗号電報4通。すべて上海の湖南派のあて名あて(1通は柏文蔚への転送):黎元洪のための一個師、黎と岑春煊あての連名電、山東。鍵は並べ替えた中文電碼である。[27]
升目の読み順:Brice Dudout。湖南の手がかり、翻字、鍵の復元、翻訳と推定読み:Claude(Anthropic)。数字はすべてBrice Dudoutが再読。
鍵は復元であり、歴史的な電碼本から得たものではない。翻訳は作業案であり、推定読みは解読文と並べて示し、置き換えない。人物の比定は候補である。
鍵
用紙は列ごとに右から左、上から下へ読み(Brice Dudoutの提案した順序)、4桁ずつ区切る。公開の前置き6591 1378=辰密は平文のまま(N05にはない)。各組は頁+十の位+一の位として読む:P = 100 × 頁 + 10 × T(十の位) + U(一の位)(通常の繰り上がりつき)。Pが中文電碼(CTC)の番号である。
頁(最初の2桁):0を含まない数を逆順に数えて頁とする。99=00頁、98=01、…、91=08、89=09(90は飛ばす)、88=10、…、11=80。そのため辰密の組には千の位・百の位に0がない。
99→00 | 98→01 | 97→02 | 96→03 | 95→04 | 94→05 | 93→06 | 92→07 | 91→08 | 89→09 | 88→10 | 87→11 | … | 11→80 |
| 読んだ数字 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 十の位 | 3 | 9 | 8 | 7 | 1 | 0 | 2 | 6 | 4 | 5 |
| 一の位 | 1 | 9 | 5 | 4 | 3 | 2 | 6 | 7 | 8 | 10 |
一の位の9は「10」で、十の位に1を繰り上げる。例:
| 組 | 頁 | 十 | 一 | P | CTC |
|---|---|---|---|---|---|
9950 | 99 → 00 | 5 → 0 | 0 → 1 | 0001 | 一 |
4220 | 42 → 52 | 2 → 8 | 0 → 1 | 5281 | 興 |
6219 | 62 → 34 | 1 → 9 | 9 → 10 | 3500 | 灰 |
鍵はN13・N16・N26(201組)で発見した。「頁の置換+十の位・一の位の置換」のモデルを焼きなまし法で当てはめると、攪拌した対照を大きく上回る読める文が得られ、得られた頁表は0を含まない逆順の数え方に従っていたので、それを課した。最後に二つの異常字(力に劈、灰に滠)から一の位9=10が分かった。探索に使わなかったN05はそのまま読め(盲検)、N16は見出しと同じ10日の韻目「灰」で終わる。
推定読みでは{x}が異常な解読字を推定字に置き換える。注に、暗号組を1桁だけ変えるとその字になるか、文脈による読みかを記す。〔x〕:未解決のまま残した字。
鍵のもう一つの読み方:番号を付け替えた明密電碼本(S. Tomokiyo)
この解釈は S. Tomokiyo 氏による(Cryptiana、2026年10月23日)[22]。電信係は計算をせず、秘密用(密)にページ・列・行の番号を手書きで付け替えた「明密」電碼本を使ったという提案で、同氏所蔵の1916年6月版『明密碼電報書』上で各鍵を図示している。我々の式は同じ表を計算で記述したものである。
我々の鍵はもともと番号の付け替え(0を含まない数で逆順に数えたページ)であり、Tomokiyo 氏はそれを電碼本の1ページ上で直接示した。「10に当たる」一の位9は最下段の xxx0 である。
| 書かれた数字 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 列 | 3 | 9 | 8 | 7 | 1 | 0 | 2 | 6 | 4 | 5 |
| 行(1〜10) | 1 | 9 | 5 | 4 | 3 | 2 | 6 | 7 | 8 | 10 |
検証:10,000通りの数字群すべてについて、公開した鍵はページ(上2桁)・列(十の位)・行(一の位)に繰り上がりなしで正確に分解できる(mingmi.py)。電碼本の各列は xxx1〜xxx9 の後、最下段に xxx0 を置く。我々の「繰り上がり」はこの配置を表していた。
同氏はまた、1913〜1923年の「X密」電碼本が台湾に多数保存されており、その多くはこうした番号付けだけが異なっていたのだろうと指摘している。
背景
辰密の前置きは黄興の電稿の刊本(《黃興等電稿》)にも見え、1916年7月の湖南の同志(曾繼梧・程潛)や、東京の黄興宅の変名「林辰」あての電報に使われている。林辰は4月に「湖南ノ件」で孫文に打電している。6月の辰密4通はすべて同じ電信あて名「ヒツキン」、霞飛路277(上海フランス租界)あてである。同じ日に送られた共密N27は同じ通りの李書城あて。
N13(6月9日、黄興)とN16(6月10日、張孝準)は同じ計画を扱う:黎元洪・岑春煊・各省あての連名電を護国軍の同意を得て出すこと。N16はさらに、湖南で湯薌銘督軍のもとにいる趙恒惕(夷午)に兵を練らせ、黎に確かな一個師を与えることを提案する。湯薌銘は湯化龍(濟武)の弟。N05(6月3日)は山東と柏文蔚(烈武)、N26は容密N28(蔣方震への三百元)と一致する。
ヒツキンとは誰か。おそらく西洋人の名ではない。同じ用紙で日本の係員は上海のあて先を漢字の音読みで書いている(カヒロ=霞飛路、フランスソカイ=仏租界、リショジョウ=李書城)。したがってヒツキンも二字の音読み(ヒツ:畢・筆・必…、キン:金・欽・勤・錦…)で、湖南派の名か電信あて名と考えられるが、未比定である。
歴史的背景
1916年6月6日に袁世凱が死去し、翌日黎元洪が大総統に就いた。袁に対して蜂起した南方諸省(護国軍、岑春煊を副撫軍長とする肇慶の軍務院)は、1912年の臨時約法と国会の回復を条件とした。N13(6月9日)は黎・岑・各省にあてる連名電を扱う。黄興は護国軍の支持を得た一致した立場を求め、機会主義と見られることを避けようとする。翌日、共密N17で条件を詳述する。
湖南では、袁が任命した督軍湯薌銘が5月29日、湖南の革命派の圧力で独立を宣言し、7月初めに長沙を去る。趙恒惕(字夷午)は1913年の第二革命後に投獄され1915年に釈放、1916年に湖南第一師の指揮に復帰した。N16の「今又在湯督下練兵」である。張孝準は督軍の兄湯化龍(濟武)を通じて、趙に黎の指揮下の精兵一個師を練らせることを提案する。新大総統に確かな武力を与えるという考えは、黄興がN18(「湏有武力爲之後援」)でも繰り返す。
あて先は上海の湖南人である。組=譚延闓(組安)、もと湖南都督で、7月に同郷人に省の長に推され8月に任命される。鳳=陳嘉会(鳳先)、湖南選出の議員。「日本の態度はかなり観望的」(N13)は、6月20日の黄興の電稿の「實日當局意存觀望」や、容密・共密電報の借款の停滞と一致する。
N05(6月3日、袁の死の前)は山東に関する。当時山東には反袁の諸勢力が並存しており、「烈武」(柏文蔚との比定は要確認)に張継とともに統一の指揮を任せることが考えられている。N26は容密N28(蔣方震=百里への三百元)と一致する。
対照校訂訳
段落ごとの作業訳はフランス語版にある。 フランス語の対照訳を見る
出典:JACARの用紙[27]、黄興電稿の刊本[29]、字:[28]の伝記、日付の韻目:中央研究院。解読プログラム:solver/chenmi。