ヨーロッパの暗号書簡

ドシエ · 日本の情報活動とアメリカの暗号

1932年:日本海軍は米国務省の電報を読んでいた

1932年1月から9月、上海事変から国際連盟の満洲調査にいたる時期に、日本海軍軍令部の小さな部署が「米特情 極秘」の名で、傍受したアメリカの電報の平文を配布していた。これらの写しを、国務省自身が刊行した本文と突き合わせると、東京が何を読み、何を読めなかったかを電報ごとに測ることができる。

“Please do not use his name in this connection.”

グルー駐日大使から国務長官へ、1932年9月2日付第223号電、最終段落(FRUS 1932, IV, doc. 238)。同じ電報の日本側の写しはそれ以外の部分を読み、ここで「次ニ四十五語 未解讀暗號」という書き込みで終わっている。

1932年:上海事変と満洲

1931年9月、関東軍は満洲を占領した。1932年1月28日には戦闘が上海に広がり、アメリカのアジア艦隊、揚子江警備隊、第4海兵連隊が共同租界を守っていた。スティムソン国務長官は日本の征服を承認せず、リットン調査団は2月から9月まで国際連盟のために調査を行い、日本は9月15日に満洲国を承認した。この8か月間、中国各地のアメリカ公館、東京の大使館、ワシントンを結ぶ電報は、危機の動きを伝える糸のひとつだった。

日本側では、1931年にハーバート・ヤードレーが、1921–22年のワシントン会議でアメリカが日本の電報を読んでいたと暴露したことが衝撃を与えた。しかし海軍はすでに独自の部署を持っていた。小谷賢によれば、海軍は1929年に軍令部の情報部門のなかに暗号解読の「別室」を設け、中杉久治郎中佐を長として少数の将校とタイピストを置いた。ここで扱う史料の多くに「中杉」の丸印が押されている。

史料

史料は、海軍大臣官房記録の公文備考 昭和7年に綴じられた16冊(「事件付属(米特情 極秘 号外 外)」(1)–(16))で、現在はアジア歴史資料センター(JACAR)でレファレンスコード C05022467800 から C05022469300 として公開されている。画像は796コマ、通信は約850通で、1932年1月29日から9月28日に及ぶ。日本側は「米特情 極秘」第32号から第548号までの番号を付し、これとは別に番号のない艦船動静の速報が約330通ある。

写しはどれも英文のタイプで、アメリカ側の電報の頭書き(発信者、宛先、番号、語数、日付、東京時刻)を写し、手書きの日本語の件名と配布の印がある。暗号の数字や文字の群はひとつも写されていない。あるのは復元された平文と、空白(「____」)や頭文字だけの語(「co....」)、そして「以下未解読暗号」「不明ノ個所多キモ参考ノタメ」といった作業上の書き込みである。

私たちの目録828行のうち、約70%がアメリカ海軍(アジア艦隊、カヴィテ、揚子江、海兵隊)、25%が国務省、3%が陸軍省のものである。上海で戦闘が続いた2月から4月は海軍が大半を占め、7月以降はリットン調査団と満洲国をめぐる国務省の電報がほとんどになる。

電報はどのように東京に届いたか

東京は何を読んでいたか

日本側が写した国務省電報のうち、1932年2月から9月までの53通について FRUS に刊行本文を見つけた。語ごとに比べると、日本側の写しは平均で約77%を再現しており、電報によって45%から95%まで幅がある。四つの区分で測り方が少しずつ異なる(意味の再現、一致語数、手作業の計数)ため、この数字は目安である。構成、数字、日付、よく出る固有名詞はほぼ常に正しく、欠けるのは短い機能語、まれな語や抽象的な語、つづりを分けて書かれた珍しい固有名詞である。

同じ誤りが9か月にわたって繰り返される。believe は3月から9月まで「calculate」と読まれ、his は「trusty」、question は「realization」となる。この部署は再構成した一冊のコードブックを使い、誤った値をなかなか直せなかった。

機密部分は読まれていない。6通の電報では、読めなかった部分が段落の切れ目から始まり、もっとも機微な内容とぴたりと重なる。例えば:

これらの電報は二つの方式を混用していたように見える。大部分が読まれた通常のコードと、機微な内容のための再暗号化された機密コードである。これは仮説であり、群を記したアメリカ側の発信控えによってのみ確かめられる。

どのコードか

解読者に見えていたのは文字ではなく、コードの群だけである。それでも誤読がしばしば正しい語と同じ頭文字で始まるのは、群の順序が語のアルファベット順に従っていたからにほかならない。既知の二つの群の間にある未知の群は、辞書の二語の間に位置づけられる。そこで頭の部分だけを書く(「co....」)か、隣の語を当てる。functioning は「fundamental」に、admission は「admonition」に、million は「military」になる。これは再構成途中の一部式(アルファベット順)コードの特徴である。

指標(53対、4区分)日本側の写し偶然(10,000回の置換)
誤った語が正しい語と同じ頭文字63 / 137(46%)6.3%
途中で切った語の頭文字が正しい95 / 119(80%)6.1%

この差はきわめて有意で(p < 10⁻⁴)、四つの区分のいずれにも現れる。測定の手順は計算の前に書き定めた。この結果は、1918年以来の国務省の通常コードで、一部式かつ再暗号化なしで使われたグレー・コードと矛盾しない。小谷も中杉の部署がグレー・コードを解いたとしている。ただしグレー・コードであることの証明にはならない。ほかにも一部式のコードは存在し、確かめるための群もグレー・コードの実物も手元にない。

日本側が写したアジア艦隊の通信は、大部分が平文で送られていた。カヴィテが一斉送信した艦船の動静、揚子江警備隊の報告、新聞要約などで、モールス受信の誤りのほかはほとんど欠けずに再現されている。

例外は1月末から3月12日までの16通である。アメリカ海軍のCommunication Instructions 1929によれば、電報の最初の群は発信部署の番号と日付を示し、番号「00」はコードで書かれた電報に用いられる。16通はいずれも「00」の群をもち、その後に特徴的な形の5文字の群が続く。日本側はこの群をそのまま写し、残りを平文で示している。この群はおそらく海軍コードの指示符である。この読みが正しければ、日本側は1932年2月にはすでにアメリカ海軍のコード電報も読んでいたことになる。確認にはアメリカ側の原本が必要である。

日本側の写しが FRUS を正すところ

日本側の写しは、同じ受信群についての、独立したもうひとつの証言である。両者に共通する欠落が3か所あり、そこでは群が送信中にすでに崩れていた。ほかの箇所では、日本側の読みがワシントンより優れていることもある。

電報FRUS日本側の写し
カニンガム、上海、2月9日(III, doc. 288)“Rear Admiral Shimottowa [Shiozawa?]”“Shiozawa”:上海の日本海軍司令官(塩沢)
北平第328号、3月11日(III, doc. 605)“the Japanese [forces?]”“the Japanese gendarmes”
上海第222号、5月6日(IV, doc. 3)“about 24,000 men of the 3d Division”“about 2400 men of the 14th division”、おそらく正しい
南京、北平第500号に引用(IV, doc. 541)5月2日付だが、5月4日付の覚書を引用している5月5日付

逆の例もある。「have not yet entered Harbin」の否定が消え、Chinese が「Japanese」となる。1932年の日本側の読み手は、個々の点で誤った情報を受け取ることもありえた。

この史料からわかること

戦前の日本海軍がアメリカの通信を読んでいたこと自体は新しい事実ではない。小谷は、中杉の別室が上海事変の際に上海総領事館から国務省への電報を解読したと一文で述べ、グレー・コードの解読をこの部署の成果としている。森山優によれば、1941年の日本はストリップ暗号を除き国務省電報の大部分を読んでいた。しかし、この16冊を用い、その本文を FRUS と照合した刊行物は見つからなかった。

このドシエが新たに示すのは、私たちの知るかぎり初めて、次の点である。1932年の日付をもつ約850通のアメリカ通信の日本側コーパス、アメリカが刊行した本文と照合した53通の電報、日本側の成功の度合い(およそ4語に3語)、機密部分が日本側に読まれなかったことの電報ごとの証拠、一部式コードを示す統計的論拠、FRUS 本文のいくつかの訂正、そして1932年2月にすでに海軍のコード電報が読まれていたことを示す手がかりである。

不確かな点

出典

  1. 史料

    アジア歴史資料センター(JACAR)、レファレンスコード C05022467800–C05022469300:「公文備考 昭和7年 T 事件附属」、「事件付属(米特情 極秘 号外 外)」(1)–(16)、海軍大臣官房記録(防衛省防衛研究所)。グルー第223号電の写し:C05022469300、押印番号0766–0767。ジョンソン第1078号電:同、0777。画像は転載していない(著作権保護)。

  2. 刊本

    Foreign Relations of the United States, 1932, vol. III, The Far Eastern Crisis; vol. IV, The Far East; Japan, 1931–1941, vol. I (Office of the Historian)。例:IV, doc. 238(グルー第223号)、IV, doc. 247(ジョンソン第1078号)、III, doc. 491、III, doc. 288、III, doc. 605、IV, doc. 3、Japan 1931–1941, I, doc. 126(フォーブス第33号)。

  3. 教範

    Navy Department, Communication Instructions 1929, Part IV, “Procedure and Examples”, arts. 3016–3023(navy-radio.com)。

  4. 研究

    小谷賢『日本軍のインテリジェンス』講談社、2007年、第3章。英語版 Japanese Intelligence in World War II, Oxford, Osprey, 2009。森山優「戦前期における日本の暗号解読能力に関する基礎研究」『国際関係・比較文化研究』3-1、2004年。日本語版ウィキペディア「中杉久治郎」(2026年10月28日閲覧)。