ヨーロッパの暗号書簡

ドシエ · 日本の暗号解読

モスクワ、1940年:東京で読まれたソ連の気象通報

1938年8月から1940年10月までの2年あまり、日本陸軍の気象部はソ連の暗号化された気象通報を読み続けた。ソ連側が鍵を変えるたびに、数時間から数日で新しい鍵を突きとめ、陸軍大臣に報告している。1940年には、モスクワ放送の乱数表そのものまで復元した。ここではその乱数表を転写して検証した。報告に添えられた解読例が、そのまま再現される。

「首題ノ蘇聯極東氣象報ハ十一日午前十時ヨリ暗號ノ使用ヲ開始セルヲ以テ之レカ飜譯解讀ニ務メタル結果同日午後八時全部ノ解讀ヲナシ得ルニ到リタル」

陸軍氣象部長から東條英機陸軍次官へ、1938年8月12日(JACAR、Ref. C01004558500、画像1。原文の抜粋)。

なぜ気象を暗号にするのか

気象通報は気圧・気温・風・雲を表す数字の列で、一見秘密はない。しかし軍にとっては情報である。満洲や日本に届く低気圧の多くは、シベリアを越えて西からやって来る。ソ連の観測を読めば自軍の航空作戦の天候をよりよく予報でき、どの観測所がどこで動いているかもわかる。

1938年まで、ソ連極東の観測所は国際気象電報式(5桁の数字の群を決まった順に並べる形式)で、観測を平文のまま放送していた。1938年8月11日、朝鮮とソ連の国境で起きた張鼓峰事件の停戦が発効したその日に、これが暗号に切り替わる。モスクワも、ヨーロッパ・ロシアを扱う放送の部分を暗号化していた。

これを受信していたのが陸軍氣象部である。「極秘」扱いの報告は東條英機陸軍次官に、ついで板垣征四郎・畑俊六両陸軍大臣に、最後は1940年7月に大臣となった東條に宛てられた。署名は歴代の部長、1940年3月までは新妻雄、その後は三上喜三。受付印から、大臣官房、航空本部、軍事課、防衛課に回覧されたことがわかる。

12点の報告

このうち12点の報告が防衛省防衛研究所に残り、アジア歴史資料センター(JACAR)で公開されている。いずれもソ連側の鍵の変更を伝え、新しい暗号の読み方を記している。

報告内容JACAR Ref.
1938年8月12日極東:最初の暗号。前日10時に使用開始、20時に解読C01004558500
1938年9月26日、10月12日、11月12日極東:新しい鍵(9/25、10/12、11/12から使用)C01004559200, C04120597300, C01004559500
1940年2月21日極東:新方式(2/15から使用)C01004816800
1940年2月29日モスクワ:最初の「型式」(17040)の解読法C01004816500
1940年5月1日、18日、25日、6月6日モスクワ:新しい鍵(4/29、5/17、5/24、6/5から使用)C01004816400, C01004816900, C01004816700, C01004832500
1940年7月16日モスクワ:6月10日・26日の新方式。復元した乱数表4枚と解読例を添付C01004832600
1940年10月16日モスクワ:新しい乱数表(10/12 16時から使用)C01004818600

使用開始日がわかる場合、報告はその日のうちか2日以内に出ている。1週間近く持ちこたえたのは、1940年2月の極東の方式(2月15日から21日)だけである。

暗号の4つの世代

どの暗号も出発点は同じ平文、すなわち観測所ごとに5桁の群を5〜7個並べた国際気象電報である。操作も同じで、鍵を1桁ずつ繰り上がりなしで(非算術的に)加えるか引く(9 + 3 は 2)。世代ごとに変わるのは、鍵の作り方である。

  1. 1938年8月、極東。第1群と第3群、第2群と第5群を入れ換え、各数字に3を加える(観測所番号には4)。第7群はつねに00000。9月からは加数が5桁の異なる数字の群(34563、ついで75647、13524)となり、2〜4週間ごとに変わる。暗号文の第5群だけは別の加数を受ける。
  2. 1940年2月、極東。暗号は11の記号、すなわち10個の数字と、欠測を表す「×」を使うようになる。第1群は換字表で暗号化され、復号した第1群が同じ行の以下の群の鍵になる。
  3. 1940年2〜6月、モスクワ。各群の1つの数字を換字し、その数字が残る4つの数字から引く数を決める。したがって11組の値がわかれば足りる。ソ連側は4月末から6月初めにかけてこの値を4回変えたが、日本側はそのつど1〜2日で突きとめた。
  4. 1940年6〜10月、モスクワ。本格的な乱数表。以下で説明する。

ソ連側の設計をうかがわせる点がある。1938年から1940年までのどの鍵にも、0はほとんど現れない(6月の表の1つに1回だけ)。0を使えば平文がそのまま出てしまうからである。

モスクワの乱数表

1940年6月10日、モスクワは方式を変え、6月26日にもう一度変えた。7月16日の報告は、その飜譯要領を4つの作業で示す。

  1. 放送電文の中から鍵を探す。同じ数字が3つ、続いて同じ数字が2つ並ぶ群である(例:55533)。
  2. 続く数字を5字ずつの群に分ける。現地時刻1時と13時の観測は5群、7時と19時の観測は6群になる。
  3. 7をXに、Xを7に換える。
  4. その日の乱数表で、鍵の初めの3字に当たる行と終わりの2字に当たる列を選び、その交点から始まる乱数を非算術的に引く。すると国際形式の気象報の平文が得られる。

乱数表は同時に2枚使われる。モスクワでの日付が奇数日か偶数日かで使い分ける。報告には4枚(6月10日〜25日用の2枚と、6月26日以降用の2枚)が、大きな用紙に手書きで写して添えられている。各表は11行(000、111…999、XXX)と10列(00、11…99)からなり、1行は109字である。

転写すると、日本側が見抜いていたことがわかる。1つの表の11行は、同じ109字の数列をずらしたものにすぎない。放送の中で平文のまま送られる鍵は、この周期のどこから始めるかを示すだけである。別の鍵で暗号化された観測所ごとに同じ周期の別の断片が得られ、断片どうしが重なり合うので、数日から数週間の受信で全体を復元できる。実際、6月26日の表は7月16日の報告で完全な形になっている。

行列 00列 11列 22列 33列 44
000255274768893158414255697195254667183385879914267393244
111552747688931584142556971952546671833858799142673932445
222122552747688931584142556971952546671833858799142673932
XXX69812255274768893158[4]142556971952546671833858799142673
附表第三(奇数日用、1940年6月26日以降)の転写抜粋。11行のうち4行、10列のうち5列。111の行は000の行を1字ずらしたもの、222の行は2字前から始まる。[ ]は写真で判読できず、構造から復元した数字。太字は鍵22244の始点。JACAR、Ref. C01004832600、画像6–7(画像は掲載しない)。

1940年7月6日の解読例を再現する

報告には解読例がある。1940年7月6日4時(日本標準時)に受信した2つの観測所である。欄外の注によれば、モスクワではまだ5日(奇数日)なので附表第三を用いる。鍵は22244、すなわち222の行、44の列である。

群
観測所1 暗號文X3252 60155 36660 044X1 45X45 X8806
乱数表から得た乱數99142 67393 24458 61354 15942 78616
生文84110 03862 12212 43127 30803 00290
観測所2 暗號文298XX 82636 26413 4X8XX 91019 22664
乱数表から得た乱數36577 82946 28213 34659 51719 22364
生文93300 00790 08200 13228 40300 00300

最初の数字では、Xが7になり、7 − 9 を繰り上がりなしで計算して8となる。観測所2の乱数は、周期の中で観測所1の続きになっている。私たちは解読例に手をつける前に表を転写し、転写した表から乱数を取り出した。それは報告の乱數と1字残らず一致し、解読すると日本側の2つの生文がそのまま得られる(60字中60字)。解読例と表は資料の別々の画像にあるので、この検証は転写に使ったものを使い回していない。

平文は国際形式で読める。観測所841、雲、現在天気、風、気圧、気温…。1940年当時のソ連の観測所一覧が見つかっていないため、これらの観測所はまだ特定できていない。

この史料からわかること

1940年2〜6月のモスクワの方式そのものは知られていなかったわけではない。ダンスタブルの英国気象局IDA部隊にいたブライアン・オードリックが2000年に、例を添えて記述している。ブレッチリー・パークとダンスタブルが1940年に読んでいた「Russian code」である。日本側の報告も同じ方式を、換字される数字の位置まで同じに記述しており、オードリックの例も、彼が示す鍵を使えば同じ方法で解読できる。互いに知られたつながりのない2つの機関が、同じ時期に同じ通信を攻めていたことになる。

日本語でも英語でも見つからなかったのは、日本側の作業そのものである。陸軍気象部が1938年から1940年まで報告を重ねながら続けた解読、そしてとりわけ1940年に復元されたモスクワの乱数表である。日本の対ソ情報活動の研究は赤軍の暗号を扱っており、気象には触れていない。私たちの知るかぎり、これらの乱数表が公開されるのはこれが初めてである。

史料からは、この攻防の速さもわかる。2年あまりのあいだに10回を超える鍵の変更と、次第に手の込んだものになる4つの方式があり、そのいずれもが数時間から数日で読まれた。弱点はいつも同じである。平文が完全に予測できること(既知の観測所番号、狭い範囲に収まる値、最後の00000の群、日本や満洲の観測所と同じ時刻の観測)、そして暗号が気象報の構造をそのまま残していることである。

不確かな点

出典

  1. 史料

    防衛省防衛研究所(アジア歴史資料センター jacar.go.jp で公開):Ref. C01004558500, C01004559200, C04120597300, C01004559500, C01004816800, C01004816500, C01004816400, C01004816900, C01004816700, C01004832500, C01004832600(解読例:画像4、乱数表:画像6–7・9–10), C01004818600(乱数表:画像2)。JACARの画像は無断転載不可のため掲載せず、表と解読例は転写した。

  2. 英国側の証言

    Brian Audric, The Meteorological Office Dunstable and the IDA Unit in World War II, Royal Meteorological Society, Occasional Papers on Meteorological History no. 2, 2000.

  3. 英国の文書

    The National Archives, Kew, HW 54/4, “Correspondence on Russian meteorological cyphers”(1939–1940年); HW 40/31, “Exploitation of Russian meteorological communications by Axis Powers”(1944–1945年).

  4. 背景

    宮杉浩泰「島内志剛日記にみる対ソ通信情報活動」『インテリジェンス』第22号。1939〜1941年の陸軍による赤軍暗号の解読を扱う。